労働判例から読み解く最近の労働事情
   
労働判例の意義について    西村健一郎(同志社大学司法研究科教授)

 ■ はじめに
 労働法についての理解を深めるためには労働法に関わる数多くの法律を知っておくだけではなく、それに関連してどのような判例・裁判例が出ているかを把握しておくことが、とくに実務家には求められる。 個々の裁判例自体は、法の解釈・適用という形でなされた具体的な労働事件のひとつの解決にすぎず、それ自体が法というわけではないが、それを通じて法が具体的に適用される現実がよく理解できるという側面があり、また、判例によって独特な法理が形成されていると評価できることことも少なくないからである。平成19(2011)年12月に制定され翌年の平成20年3月から施行された労働契約法は、基本的にこれまでに出されていた多くの最高裁判例を明文化したものである。また、今回の有期労働契約に関する労働契約法の改正に含まれている「雇止め法理」は、最高裁の2つの判例(東芝柳町工場事件・最1小判昭和49・7・22民集28巻5号927頁、日立メディコ事件・最1小判昭和60・12・4労判486号6頁)を条文化したものであることは厚生労働省の出した通達「労働契約法の施行について」(平成24年8月10日付け基発0810第2号)からもうかがうことができる。もっとも、立法となると「判例」を超える重要な役割を果たすことになる。労働契約法17条は、期間の定めのある労働契約の中途の解約に「やむを得ない事由がある場合でなければ」ならないとする制限を課しているが、それは従来の判例を明文化したというより、ある政策的な意図に基づき新しく立法化されたものである。その結果、労働契約の中途の解約には16条の解雇権濫用法理よりも厳しい要件が課せられることになっている。今回の労働契約法の改正に盛り込まれた、更新を重ねて5年を超えることになった有期労働契約の期間の定めのない労働契約への転換も、立法によって初めて可能になったものである。
 松下プラズマディスプレイ事件(最2小判平成21・12・18)は、偽装請負と下請会社従業員・元請会社との間の黙示の労働契約成立の有無が争われたケースである。最高裁は、請負人(P社)と労働契約を締結し、注文者(Y社)の工場に派遣されてていた労働者Xが、注文者から直接具体的な指揮監督を受けて作業に従事していたために、請負人と注文者との関係がいわゆる偽装請負に当たり、上記の派遣を労働者派遣法に違反する労働者派遣と解すべき場合において、@上記Xと請負人との間の労働契約は有効に成立していたこと、A注文者が請負人による当該労働者の採用に関与していたとは認められないこと、B当該労働者が請負人から支給を受けていた給与等の額を注文者が事実上決定していたといえるような事情はうかがわれないこと、C請負人が配置を含む当該労働者の具体的な就業態様を一定の限度で決定し得る地位にあったことなどの事情の下では、注文者と当該労働者との間に労働契約関係が黙示的に成立していたとはいえないと判示して、黙示の労働契約の成立を認めていた原審を取り消した。黙示の労働契約の成立を肯定していた原審を妥当とする判例批評も少なからず見られたが、最高裁は、現行法の解釈としてはそこまでいうのは無理であると判断したということである。ここに現行法の解釈・適用としての判例の限界を見ることができる。この点は、平成24年に成立した派遣法の改正により、違法な派遣が行われた場合、派遣先が派遣労働者に労働契約の申込みをしたものとみなす制度が採用され、上記の問題は立法的に解決されることになった(平成27年10月1日施行)。

 ■1 労働法における判例の役割
 労働法の領域においては、労使関係の集団的・流動的な性格あるいは複雑多岐にわたる労使関係の性格に考慮して、法律が一般的抽象的な規定をおいているだけで、その具体的運用を法解釈に委ねているものが少なくない。例えば労働組合法は、憲法28条の団体行動権の保障を受けて、正当な争議行為に民事・刑事の免責を与えているが、正当な争議行為とは何かという争議行為の正当性の基準自体については、積極的に何も示されていない。したがって、この点をめぐって争われた判例が提示する基準によって正当な争議行為としての民事免責の有無さらには範囲が画されることになる。また、労働基準法および労災保険法では、業務上の災害・疾病について災害補償(労災保険法では年金が支給される場合も少なくない)が与えられることになるが、「業務上」の範囲、その判断の基準等を画定することは、行政解釈(通達)、さらには判例にその役割が委ねられている。過労死あるいはうつ病の業務上外認定に関してはおびただしい数の裁判例の蓄積が見られるが、それがまた、行政解釈にも影響を与えて行政解釈が改定されるという現象も生じている。
 先に述べた労働契約法は、高知放送事件の最高裁判例(最2小判昭和52年1月31日)を踏まえて、16条に解雇権濫用法理を明文化しているが、どのような場合に、解雇が客観的に合理的で社会的に相当と認められるかは、当該労働者の職務上の地位、待遇、企業の種類、規模等によって当然ながら千差万別であり、数多くの具体的な事例を踏まえてでないと適切で妥当な判断はできないことになろう。

 ■2 労働者性
 労働者の定義は労基法9条あるいは労組法3条に置かれているが、これらの法律が適用される「労働者」かどうかの問題も、ある意味で法解釈の余地がきわめて大きな領域である。
 ソクハイ事件(東京地判平成22・4・28)は、バイシクルメッセンジャーの労基法上の労働者性が争われた事例である。荷物の配送業務を主たる業務とする会社と請負契約を締結して稼働していたバイシクルメッセンジャーが、稼働日・稼働時間帯を自ら決定することができ、個別の配送依頼につき諾否の自由があったこと、一定時刻までの出所や業務終了後の帰所が義務づけられておらず、場所的・時間的拘束がなかったこと、その報酬が出来高で支払われていたこと等から労基法上の労働者とはいえないが、所長との兼務については、所長は会社から指揮命令および場所的・時間的拘束を受けており、所長手当は賃金としての性格を有するものと評価できるとして、労基法上の労働者に当たるとされている。 
 また、国・船橋労基署長(マルカキカイ)事件(東京地判平23・5・19)は、執行役員の労基法(および労災保険法)上の労働者性が問題になった事例であるが、裁判所は、Z社の一般従業員としての立場を退職し退職金が支払われ、執行役員に就任していた者につき、Z社の取締役には従業員を兼ねる者がおり、Z社においては取締役に就任することによって当然に従業員たる立場を喪失するものとは認められず、取締役に就任した後も業務内容も勤務場所にも質的な変化がなかったことから、一般従業員としての立場を退職後も有しており、労基法および労災保険法上の労働者と認められるとされている。
 他方で、労組法上の労働者性が使用者の団交義務(労組法7条2号)との関連で問題となるケースが相次ぎ、最高裁の判例が出されている。まず、会社と個人業務委託契約を締結しているカスタマーエンジニア(CE)は、@事業遂行に不可欠な労働力としてその恒常的な確保のために会社の組織に組み入れられていたこと、A業務委託契約の内容は会社が一方的に決定していたこと、BCEの報酬は労務の対価としての性質を有するといえること、C会社から修理補修等の以来を受けた場合にこれに応ずべき関係にあったこと、D会社の指定する業務遂行方法に従い、その指揮監督の下に労務の提供を行っており、業務について場所的・時間的拘束を受けていたことなどからすれば、労組法上の労働者と認められるとされた(国・中労委(INAXメンテナンス)事件・最3小判平成23・4・12労判1026号27頁)。
 また、個人代行店の労組法上の労働者性についても、最高裁は、次のように判示してその労組法上の労働者性を肯定している。音響製品等の設置、修理等を業とする会社が、その会社との業務委託契約に基づいて修理等の業務に従事する個人代行店が加入する労働組合から個人代行店の待遇改善を要求事項とする団体交渉を申し入れられた場合において、@当該個人代行店が上記会社の事業の遂行に必要な労働力としてその組織に組み入れられ、A契約内容も会社が一方的に決定し、B個人代行店に支払われる委託料も実質的に労務提供の対価としての性質を有しているとみることができ、C業務遂行方法も会社の指揮監督の下に労務提供を行っているような事情の下においては、個人代行店がなお独立の事業者としての実態を備えていると認めるべき特段の事情がない限り、労組法上の労働者と認めるのが相当である(国・中労委(ビクターサービスエンジニアリング)事件・最3小判平成24・2・21労判1043号5頁)。また、オペラ歌手の労組法上の労働者性も同様の観点から肯定されている(国・中労委(新国立劇場運営財団)事件・最3小判平成23・4・12労経速2105号8頁)。
 いずれも事例判決であるが、この種の問題について、当該労務提供者が当該事業の遂行に必要不可欠なな労働力としてその組織に組み入れられているかどうか、契約内容が会社により一方的に決定されていたかるかどうか等、他の事例でも適用できる基準を立ててこの種の問題にひとつの決着をつけた最高裁判例の意義は大きいと思われる。

 ■3 契約内容の変更
 労働契約法は、労働条件(契約内容)の変更には当事者の合意が必要である旨の「合意原則」を明らかにしている(8条)。使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者に不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできないのである(9条)。もっとも、一定の条件がクリアされれば、就業規則の変更によって使用者は、労働条件(契約内容)を変更することができる(10条)。この法理は、言うまでもなく、有名な秋北バス事件・最高裁大法廷判決(昭和43・12・25)以来積み重ねられてきた判例法の展開をベースに条文化されたものである。
 問題は、上記9条の「労働者と合意することなく」を反対解釈して、労働者と合意すれば労働者に不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することができるかどうかである。この点が争点となったのが、3回にわたる退職金規定変更による退職金不支給の可否が争われた協愛事件である。1審(大阪地判平成21・3・19)では、労基法93条(現行の労働契約法12条)の定める就業規則の直律的効力(最低基準効)からして、「就業規則に定められた労働条件の基準より不利益な労働条件については、・・・・・・就業規則を変更しない限り、個々の労働者がその労働条件を内容とする労働契約を締結した場合においても、その不利益部分において無効であり、就業規則に定める基準によるものと解するのが相当である」と判示して結果的に9条の反対解釈を否定したが、同事件の控訴審(大阪高判平成22・3・18)では、労働契約法9条の反対解釈を認め、使用者の提案にかかる就業規則の変更に労働者が個別に同意することによって、労働条件変更が可能となることを認めている。
 労働者の同意・了解を得たうえで行われる就業規則の不利益変更は、就業規則の不利益変更の法理を定めた10条と対置されるもので、実務上も重要な意味を有することになろう。

 ■4 賃金とその減額
 最近、上記の就業規則の不利益変更の法理によらずに賃金を減額された労働者が、その減額に合意していなかったとして争うケースが目立つている。NEXX事件(東京地判平成24・2・27)もその一つであるが、このケースで労働者は約3年にわたって20%分減額された給与を受領していた。本件では、就業規則が存在しないところでの従業員の給与減額の合意の存否が問題となっている。こうした合意は必ずしも明示のものでなくても黙示の合意で足りるが、判旨は、労働契約において、賃金は最も基本的な要素であるという理由で、使用者が提示した賃金引き下げの申入れに対して労使間で黙示の合意が成立したということができるためには、労働者が異議を述べなかっただけでは足りず、労働者が当該不利益変更を真意に基づき受け入れたと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在することが必要であるとして、黙示の合意の成立に厳しい枠をはめている。
 同様に、技術翻訳事件(東京地判平成23・5・17)は、制作部で翻訳物の手配、編集等を行っていた労働者(地位は制作部の最高責任者である制作部次長)が、会社が行った報酬ないし賃金を20%減額する取扱いにつき、平成21年9月末で退職した後、会社に対して、平成21年6月以降の賃金減額は無効であるとして、減額分の賃金支払い等を求めた事件であるが、裁判所は、賃金は雇用契約の最も重要な要素であり、使用者の労働条件明示義務(労基法15条)および、労働契約の内容の理解促進の責務(労働契約法4条)があることを勘案すれば、いったん成立した労働契約について事後的に個別の合意によって賃金を減額しようとする場合においても、使用者は、労働者に対して、賃金減額の理由等を十分に説明し、対象となる労働者の理解を得るように努めた上で、合意された内容をできる限り書面化しておくことが望ましい。加えて、就業規則に基づかない賃金減額に対する労働者の承諾の意思表示は、賃金債権の放棄と同視すべきものであることからすれば、労基法24条1項本文に定める賃金全額払いの原則との関係からも、慎重な判断が求められるというべきであり、本件のように賃金減額について労働者の明示的な承諾がない場合においては、書面等による明示的な承諾の事実がなくとも黙示の承諾があったと認め得るだけの積極的な事情として、使用者が労働者に対して書面等による明示的な承諾を求めなかったことについての合理的な理由の存在等が求められるというべきである、と述べている。そして、本件では、そうした合理的な理由の存在等はなかったとされ、単に労働者が賃金減額について説明が行われた代表者会から退席しなかったという事実をもって労働者との間に賃金減額にかかる確定的な合意が成立したとは言えないとした。また、本件賃金減額の実施から本件退職までの間が3か月余りにすぎないことからして、労働者が、その間、本件賃金減額による減額後の賃金を受領し、使用者に対して抗議等を行っていないとしても、他に特段の事情の認められない本件においては、本件賃金減額に対して事後的な追認がされたと認めることはできないとし、本件賃金減額を有効であると認めることはできないと結論づけている。

 ■ 結びにかえて
 合意原則からすれば、使用者は、賃金のような基本的な労働条件についても労働者の明示ないし黙示の同意を得て変更することができる。しかし、黙示の同意があったとの認定が争われる場合、裁判例で厳しい枠がはめられていることを上記のケースは示唆しているわけで、賃金減額を考える使用者にとって実務的にも重要な考慮要素となるものであろう。
 労働契約法に定められたさまざまなルールは、個別的労働関係紛争の増大を背景に、その際に適用されるべき法原則を明文化するという意義を持つものであるが、その法原則自体がかなりの解釈の余地を残すものである。また明文化されなかった労働契約法のルールも、採用内定、試用期間、整理解雇、さらには変更解約告知など数多く残されており、こうした領域においては判例・裁判例が提示する法理論に依拠するところが大きい。労政ジャーナルで毎号、新しい注目すべき労働関係の判例が掲載されているが、その意味もそこに見いだせると思われる。

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