1055号 労働判例 「渋谷労働基準監督署長事件」
(東京地裁 平成26年3月19日 判決)
中国ロケに関係して行われた宴会の飲酒行為による嘔吐・窒息死が業務上とされた事例
中国ロケでの宴会での飲酒と「業務」
解 説
〈事実の概要〉
本件は、中国ロケに関係して行われた宴会の飲酒行為(「乾杯」)によりホテルに帰ってから嘔吐・窒息死した労働者につき業務上の死亡か否かが争われた事例である。
Kは、映像制作を業とする株式会社甲に雇用され、業務(中国ロケ)でNHKのディレクターや従業員(本件日本人スタッフ)とともに、中国出張中に、アルコールを大量摂取し、その後嘔吐し、吐いた物が気管に詰まって窒息死したが、Kの親Xが上記死亡は労災保険法にいう業務上の死亡に当たるとして争っていた。
平成21年4月8日、午後7時頃から1時間ないし1時間半程度、ロケに同行した中国共産党の「鎮委員会」宣伝委員のIを招いて本件日本人スタッフの主催による宴会が行われたが、その後、同日午後8時半頃からIの主催する返礼の宴会(本件第2会合)が開かれた。そこでは白酒(パイチュウ)と呼ばれるアルコール度の高い酒が出され、Kを含む日本人スタッフは、いずれもこの白酒を複数杯飲んだ。Kは、その後宿泊先のホテルに帰ったが、翌日の9日、午前2時頃、吐いた物を気管に逆流させて窒息死した(「本件事故」)。
監督署は、労働者が包括的に使用者の支配を受けて業務に従事していたため業務遂行性が認められる場合であっても、労働者の私的行為、業務逸脱行為その他業務と関係のない原因によって生じた死亡は、業務に内在する危険が現実化したものとはいえず、業務起因性は否定される、本件第2会合でのKによる過度のアルコール摂取は、業務上の必要性がないのに行われた積極的な私的行為であり、これを原因とする死亡には業務起因性は認められないとの見地から、労災保険法の遺族補償給付等を不支給としていた。
〈判決の要旨〉
裁判所は次のように判示する。中国では、ビジネスにおいて人脈が強い影響力を持つと考えられており、そのため飲酒を伴う宴会が、官庁や企業における業務を円滑に遂行するために必要なものとして捉えられる傾向がある。また、宴会や食事の際に、割勘での清算が行われないため、費用を負担してもらった側が、返礼の会を設けるのが一般的であるが、その宴会の誘いを断ることは、中国では、相手の面子を潰すことになるので避けるべきであると解されている。さらに中国の宴会では、アルコール度の強い白酒を、主催者側と客側が挨拶を交わしながら一気に飲み干すことが繰り返される。注がれた酒を飲まないことは、相手に対して失礼な行為とみられる傾向がある。とくに日本人スタッフが複数の中国人参加者に囲まれながらそれを断ることは難しい。
本件日本人スタッフにとって本件第2会合に参加する目的は、本件飛行場の撮影許可を得るために「鎮委員会」の関係者に直接要請することはもちろん、本件中国ロケにおける今後の取材業務が円滑に進められるように鎮委員会の関係者との親睦を深めること自体も含まれていた。この目的を達成するために、中国人参加者に勧められた酒を飲むことで親睦を深めることができるとの認識の下、「乾杯」を繰り返したのであるから、その結果、相当量の飲酒に至ったとしても、そのことで当該飲酒行為が仕事上の交際に必要な域を逸脱したものと評価されるべきではない。
本件第2会合における飲酒行為により、Kが咽頭反射がない状態で嘔吐したことは、同人が従事していた業務である本件中国ロケに内在していた危険性が発現したものとして、業務との間に相当因果関係が認められる。したがって、本件死亡は、「労働者が業務上死亡した場合」(労災法12条の8第2項、労基法79条・80条)に該当する。
本来であれば、過度の飲酒として労働者の私的行為、業務逸脱行為と見られるものが、中国での相手の面子を損なわずに、取材業務を円滑に進めるための飲酒行為であったとして業務遂行性が認められたものである。
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